応永27年(
1420年)、蓮如が6歳。存如が本妻を迎えるにあたって、生母は本願寺を退出しその後行方知れず。蓮如幼年期の本願寺は、
仏光寺の隆盛に比し、不振の極にあり、参拝者(後に蓮如の支援者となった
堅田本福寺の法住ら)が余りにも寂れた本願寺の有様を見て呆れ、
仏光寺へ参拝したほどであった。
同年、本願寺第八代を継職。留主職継職にあたり、異母弟・応玄(蓮照)を擁立する動きもあったが、叔父宣祐(如乗)の主張により蓮如の就任裁定となった。なお、歴代住職が後継者にあてる
譲状の存如筆が現存しないことから、この裁定は宣祐によるクーデターともされる。この裁定に対して、応玄と継母は怒りの余り本願寺財物を持ち出したと伝えられる。