地元の小学校に入学、3年生から学級委員を務め、学級新聞に4コマ漫画を連載した。一時期いじめられかけたこともあったが、クラスのガキ大将に漫画を描いたことがきっかけでいじめはピタリと止まったという。このころ初めて長編漫画『太古の山脈』を描き上げる。当時テレビでも放映していた
フィルム・ノワールの影響を受けた暗い内容のもので、当時は4つ上の兄が専らの読者であった。
中学では当初陸上部に入るも、先輩の偉そうな態度が嫌になり軽音部へ転入。
吉田拓郎にのめりこみ、その後
ボブ・ディランの研究を始める。高校、大学も軽音楽部に所属していた。一方で漫画の制作も続けており、高校では国語の教科書に載っていた
芥川龍之介の『
羅生門』を漫画化している。もっとも当時の
梶原一騎ブームに乗れず、一時期漫画に興味を失いかけていたこともあった。しかし大学の時に登場した
大友克洋をはじめとするニューウェーブの作品群に感化され、漫画に対する情熱を取り戻した。
「マンガ君」と思われるのが嫌で大学では漫研には近寄らなかったが、漫研の人よりもたくさん漫画を描いていたという。なお大学の軽音部では1年上に
THE STREET SLIDERSのHARRYが所属しており、下手にバンドで食べていこうと思わなかったのは彼のパフォーマンスを見たからかもしれないと語っている。また、中学生時代の経験は後に『
20世紀少年』に活かされ、浦沢は「ケンヂが校内放送で曲をかけたが変化無しと言うのは自分自身の実体験だが、こういうことをした人は結構多かった」「10分の1くらいは自叙伝」と語っている。
もともと漫画家になるつもりはなかったが、就職活動時に
小学館に編集者としての面接を受けた際、ついでに持って行った原稿「Return」が新人賞に入選、これを機に1年で芽が出なければやめるつもりで漫画家を志す。アシスタント等を経て、
1983年に「BETA!」(「
ゴルゴ13 別冊」掲載)でデビューし、1984年開始の「踊る警官」で初連載。
長崎尚志担当のもと『ビッグコミックオリジナル』で外国を舞台にした『
パイナップルARMY』『
MASTERキートン』を連載する一方、『ビッグコミックスピリッツ』で『
YAWARA!』『
Happy!』と女子スポーツを題材にした作品を発表し人気を得る。1986年開始の『YAWARA!』以降は2誌掛け持ちで、毎月100枚を越える連載を10年以上続けた。スリラー作品『
MONSTER』、手塚治虫の『鉄腕アトム』をリメイクした『PLUTO』により2度の
手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。2004年には『
20世紀少年』によりフランス・
アングレーム国際漫画祭で最優秀長編賞を受賞している。