・かなり好悪の激しい人物であり、しばしば露悪的な表現(近年では
2ちゃんねる語など)をも用いるため、記述の内容以前に文体に対しての拒絶的な反応も少なくない。大月と対談した
富野由悠季はその人物像について、「話をすれば、毒舌で率直すぎる指摘があり、原稿にむかえば浅薄な馬鹿事への怒りが先行して、氏の見識を吹き飛ばす。それではアカデミズム・オブリージ(学識ある者の義務)を果たせない。愚民としてはもったいないと痛感した」と述べている。(『教えてください。富野です』より)
・「
新しい歴史教科書をつくる会」には創会時に
小林よしのりへの共感から入会し、1998年2月には2代目の事務局長になったが、その翌年、会長の
西尾幹二から解任される。神経症が原因での活動休止を経て療養した直後の脱退(除名勧告)であった。『あたしの民主主義』によれば、大月は「つくる会」の活動が完全な右寄りになることを問題視しており、「つくる会」のシンポジウムにおいて「
と学会からトンデモ史研究者を呼ぶ」「イベントとして餅まきを行う」など、会側のイデオロギーからずれた活動を続けたことが問題視されたようである。この頃の大月は、前述の病気や脱会、さらには離婚など不運続きであり、当時対談の連載を行なっていた相手の
ナンシー関から「めくるめく不幸を呼び寄せる男」と命名されている。