承久の乱の戦後処理として、後鳥羽上皇方に加担した
公家・
武士などの所領が没収され、
御家人に恩賞として再分配された。これらは、それまで幕府の支配下になかった
荘園で、幕府の権限が及び難い西国に多くあった。再分配の結果、これらの荘園にも
地頭が置かれることになった
[以前に幕府の支配下にあった土地に置かれた地頭を本補地頭と呼ぶのに対して、これを新補地頭という。]。また、幕府側は、朝廷方の動きを常に監視し、これを制御する必要が出てきた。
六波羅探題は、朝廷では無く幕府の直接指揮下にあり、西国で起きた地頭と
国司などのトラブルを処理する裁判機能、京都周辺の治安維持、朝廷の監視、皇位決定の取り次ぎなどを行った。更に
文永の役翌年の
建治元年(
1275年)には六波羅探題の機能はさらに強化され、御家人処罰の権限と裁判制度が充実された。