人民(じんみん)は、
法学・
政治学の用語で、一定領域において特別な政治的権限を持たないただの人のことをいう。あるいは、君主国の国民たる「臣民」に対して共和国の国民を「人民」と呼ぶ用語法もある。一般的傾向として、厳密な区別を要するような場合には「人民」と「国民」は区別されて用いられるのに対し、それ以外の場合においては通常は「人民」という言い方は避けられ、「国民」という言葉のみが用いられる。
共産主義の国では、
国際主義の立場から、「
国民」(nation)よりも「人民」(people)を好んで用い、そのため本来の語義を離れて「人民」という言葉に、共産主義のイメージが感じ取られる場合が非常に多く、一般的である。「人民共和国」やこれに類する表現(「民主」が前後に付けられることも多い)は、共産主義国に独特の国号となっている(もっともレーニンがヨーロッパ・ソビエト共和国連邦を提案したのが、スターリンによって社会主義共和国にされたのは有名なエピソードである)。
明治時代に作られた法律・政治用語で、官吏と軍人を除く一般人をいった。明治初期にはそれ以上の含意はなかったが、
自由民権運動が、人民の権利と議会開設を求めたことから、「人民」は政治議論の中心概念になった。民権運動の思想は、
天皇の権威を拠り所にする政府に容れられなかった。政府側が起草してできた
大日本帝国憲法は、かわりに「臣民」という語を持ち込み、ただの人ではなく、臣下の人に対して権利を与える形式をとった。こうして法文上の用語から外された「人民」は、権力者に支配される状態は不当だという語感をまとうようになった。
第二次世界大戦後、日本の
左翼勢力は、それぞれ
封建主義・
ファシズムの含みもある「
臣民」・「国民」の概念を脱却するべく「人民」の呼称を積極的に用いた。しかし
冷戦にともなう占領政策の転換後、当局と左翼勢力の対立が先鋭化し、暴力闘争路線が市民多数派に敬遠されるようになると、議会主義路線の左翼政党は
極左的な印象を避けるべく人民という言葉の使用を控えるようになった。以降、日本の
政党・
政治団体で、少なくとも
国会に議席を有するものでは、人民を党名にかぶせたり、
政策に人民という語を使うことはほとんど無い(
日本人民党、
沖縄人民党が議席を獲得した希少な例である。ただし、
日本人民党は
右翼政党であり、二重の意味で希有と言える)。また、
国民新党の英語名称はThe People's New Partyであり、直訳すれば「人民新党」となる。しかし、日本語名称で「人民」は使っていない。
上記のような歴史的経緯を持たない西欧語では、人々、人民、民衆をあまり区別しない。日本語の「人々」、「人民」、「民衆」は、単語一つ(英語 people)か、相互に交換可能な単語複数に対応する。「国民」については、西欧語においてpeopleとnationの区別がなされることに注意を要する。