男子シングルスでは、
1878年の第2回大会以後、大会前年優勝者を除く他の選手たちが「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round、挑戦者決定戦)を1回戦から勝ち抜き、それを制した選手が前年優勝者と決勝を戦う「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)方式で優勝を決定した。
1885年の女子シングルス第2回大会は、通常の勝ち抜き戦で行われ、
1886年の第3回大会からチャレンジ・ラウンドとオールカマーズ・ファイナルを導入している。
1885年の第2回大会で、大会前年優勝者のモード・ワトソンは順調に2年連続の決勝戦に進み、
ブランチ・ビングリー(
1863年 -
1946年)を 6-1, 7-5 で退け、大会2連覇を果たした。
1886年から女子シングルスに導入された方式で、ワトソンは「チャレンジ・ラウンド」の勝者を待つ立場になったが、そこを勝ち上がったビングリーに 3-6, 3-6 で敗れ、3連覇を逃した。
モード・ワトソンのテニスウェアは、現在の女子選手たちが着用するようなミニ・スカートやワンピースとは大きく異なり、足首までの長さがある白いドレスをまとってプレーしていたという。これが現在のウィンブルドンでの試合のユニホームは白色が義務というルールの起源となった。
時代の流れとともに、テニスウェアのファッションも少しずつ変わってきた。後年、ワトソンは
1934年に名門「エドグバストン・ローンテニスクラブ」(The Edgbaston Lawn Tennis Club)の代表に就任した。現在、このクラブではウィンブルドン選手権の最初の前哨戦である「DFSクラシック」が6月第2週に開かれ、優勝者には彼女の名前を冠した「モード・ワトソン・トロフィー」が贈られる。