ウェードがプロテニス選手に転向した
1968年は、
テニスの歴史の中でも最大の転換期に位置する。この年に
テニス4大大会の「オープン化」が実施され、プロ選手たちに出場の道が開かれた。それ以前は、4大大会の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。成功を収めた多くの一流選手たちがプロに転向したため、世界一の威信を誇るウィンブルドン選手権でさえも、世界最強レベルの選手の姿が消えるジレンマが長期間続いていた。そのため、「オープン化」という措置によってプロ選手にも4大大会出場の道を開いたのである。その年に、ウェードはアマチュア選手として故郷の
ボーンマスで開かれた「全英ハードコート選手権」で優勝する。その5ヶ月後、ウェードはプロ選手として
全米オープンで4大大会に初優勝を飾る。決勝で
ビリー・ジーン・キング夫人(
アメリカ)を 6-4, 6-2 で破り、「オープン化時代大会」としての同選手権で最初の優勝者になった。(
1968年と
1969年の2年間は、暫定措置として全米選手権大会が2度開催された。9月に行われた「オープン化時代大会」(英語:Open Era Grand Slam)の優勝者が大会公認の優勝者として記載されるため、1968年はウェードが正式な優勝者として扱われる。
全米オープンテニス女子シングルス優勝者一覧も参照。)
1972年の
全豪オープンで、ウェードは4年ぶりとなる4大大会2勝目を挙げた。
ウェードのテニス人生最大のハイライトは、
1977年の
ウィンブルドン選手権大会である。準決勝で大会前年優勝者の
クリス・エバートを 6-2, 4-6, 6-1 で破ったウェードは、決勝で
ベティ・ストーブ(
オランダ)と対戦することになった。決勝戦のセンター・コートは1万4000人の満員の観客で埋め尽くされ、この年に即位25周年を迎えたイギリス女王
エリザベス2世の見守る中、ウェードはストーブに 4-6, 6-3, 6-1 の逆転勝利を収め、自身17度目の挑戦でウィンブルドン選手権に初優勝を果たした。これはウェード自身にとっても、32歳の誕生日の9日前に達成した記念碑的な偉業であった。